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私がメンタルを強くすることができた一つの考え方

こんにちは。
  
さゆりです。
 

最近、私自身が身の回りでどんなことが起きても、どんなことを言われても
いっさい悩まなくなる一つの考え方にたどり着きました。
   
なので、今回の記事では、私がメンタルを強くすることができた一つの考え方についてお伝えします。
※あくまで個人の経験の話と思って読んでください。
   

結論から言うと
=====
私は特別な人間ではない  大した人間ではない  凡人なのだ
=====
と骨の随まで浸透するほどに思えた時に、私はとても安心に包まれました。
   

「えっ?どういうこと???」
と思った方もいらっしゃるかも知れませんが  
順番にお話ししていきたいと思います。
  

私、実は・・・
  
めちゃくちゃ かまってちゃん なんです。
   

私のこと「すごい!」って言ってほしいし、
「あなたが必要!」「大好き!」って思われたい。
  
それも何度も、たくさん、莫大な量を、伝えてほしいんですね。
言ってて、恥ずかしい・・・(笑)
   

つまり、いわゆる ” 愛と承認 “ をたくさんたくさん誰かに与えてほしかったんです。
   

人間は、誰かに愛されたい 誰かに認められたい と思う生き物です。
とても自然な欲求とも言えるでしょう。
  
しかし、自分の外側にいる人たちが、いつも自分がほしいものを、ほしい量だけ与えてくれるとは限りませんよね!
   

当たり前です。
当たり前だし、わかっているのに・・・
    
相手に受け入れられること、認められることを望んでしまう自分がいます。
  
ちょっとした家族との会話、気の知れた友人との会話、仕事や会社での会話で、期待しちゃうんだよな〜〜〜
   

今読んでくださっているあなたは、そんなことありますか?
   

私の場合ですが、この欲求不満を生み出しているカラクリとして
「私自身がこれだけ莫大な量の”愛と承認”を受け取るに値する」という認識が影響していると気がついたんです。 
   
私の自信のなさや不安な気持ちは、実は、自分が自分を過大評価していることから来ていたんですね。
だから、例えるなら 大きな大きな 超BIGな心のバケツを用意していて
そのバケツを一生懸命に愛と承認で満たそうと、もがいていたんですよね。
大きすぎて、それはそれは、なかなか満たされる気持ちにはなれませんでしたね。
   
  
自信がない=過小評価 と思われがちですが、
心の奥底では、評価されるに値するはずだ という 傲慢さ が私にはあったのです。
認めたくない現実ですね・・・恥
  

 
ちなみに、傲慢という言葉を、辞書で引きました(笑)

傲慢・・・「傲慢」とは、思い上がりのことを意味する表現である。「傲慢」とは、おごり高ぶって人を見下すことや、その様などである。
    
私ってこんな人間???・・・・・なんか、ショックです。笑

  

それは、私が「完璧であらねばならない」
「すごいと思われないといけない」
「特別な人間であるはずだ」
「みんなが期待する良い子であらねばならない」
  
そういう意識からくるものだったのかもしれません。
 
   

しかし、本来
=====
私は特別な人間ではない  大した人間ではない  凡人なのだ
=====
という事実を 骨の髄まで 思い知らせてやったんです。(言い方。笑)
    

すると・・・・びっくりするほど、めっちゃくちゃ気持ちが楽になりました。
   
自分に対するハードルを下げることができた感覚ですね。
   

先ほど挙げた 自分に対する「こうあらねば」の意識を緩めることができたんでしょう。
べつに 完璧じゃなくて良いんだから 良い子じゃなくて良いんだから
自分で自分を許してあげられたんです。
   
  

”愛と承認”の欲求については、人間の根底にある欲求なので、なくなったわけではありません。
ですが、愛と承認で満たす心の容器のサイズが
とっても小さなものでOKになったんですね。
小さいちょっとしたコップくらい。お猪口くらいでもいい感じです。
    
 

しかも、その心の容器を満たすことも、他人ばかりを頼るのではなく、
自分でもやってあげられるようになりました。
   

  • 朝起きて、元気な身体があることってめっちゃすごい
  • 呼吸しているだけで素晴らしいよな
  • 食事をとってえらい 等

   

「えっ、そんなことで満足するの??」
って思うかも知れませんが、
満足できるようになったんです。
  
  

自分の傲慢さを認めて
元々、特別な人間でもないし、大した人間でもないんだよ
って言えた瞬間から。
    
 

おそらく、この考え方は 私を自由にするためのものだったんだと思います。
   

  

これまでの色んな幼少期からの経験も影響しているのかも知れませんが、
そこで この現実世界の見方を決めたのは「私」です。
私を檻に閉じ込めていたのは、紛れもなく、私自身だったんですね。

  

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
     

   

  

Thank you.